履修生によるフィールドワーク紹介 小松恵

石垣プロジェクト感想

私は今回、台湾系の人びとが高齢期において自らのエスニック・アイデンティティとどのように向き合っているのかということに関心を持ち、石垣島に向かいました。石垣島には、台湾系の人びとが多く暮らしています。石垣島と台湾の距離は227km。石垣島からは、沖縄本島よりも台湾の方が近いのです。地理的な理由はもちろんのこと、歴史的な背景もあり、戦前から現在にいたるまで石垣島と台湾の間をたくさんの人が行き来しています。そうした石垣島の台湾系の人びとは、メディアの取材や調査研究の対象となるなど、注目されている人びとでもあります。そこで、私はあえて、台湾系の人びとの集住地域ではなく、市街地に目を向けてみることにしました。

石垣島の市街地は、たくさんの商店が立ち並び、観光客でにぎわっていました。中でも驚いたのは、台湾人観光客の多さです。週に2日ほど、台湾から観光船が入港しており、入港日の市街地には北京語が飛び交っていました。また、市街地の台湾系の人びとは集住していないため、例えば中華街のような目に見える台湾系コミュニティーのようなものはなく、ただ歩いているだけでは台湾系の人びとがどこにいるのかわかりませんでした。事前に調査アポをほとんど取れていなかったこともあり、すれ違った街の人たちに話を聞きながら、台湾系の人びとを探し歩きました。

市街地で中華料理店を営む台湾系の方への聞き取りのあとに、お店でいただいたラーメン

そうこうしながらも、台湾系の方々からお話をうかがっているうちに、自分が発する「台湾系の人びと」という言葉に違和感を覚えるようになりました。私は、高齢期になると「台湾」と「日本」のあいだを揺れ動いていたアイデンティティに何らかの変化が生じるのではないかと考えていました。しかし、そもそも、石垣島の台湾系の人びとのアイデンティティを「台湾」と「日本」のどちらかとして安易に捉えてしまっても良いのだろうかという疑問がわいてきたのです。私には、「台湾」と「日本」だけでは表現することのできない、もっと複雑なもののように思えました。自分の持っていた「台湾系の人びと」に対する思い込みが揺さぶられた瞬間でした。

こうして、私は台湾系の人びとの高齢期におけるエスニック・アイデンティティのありようを問うまえに、石垣島の地域性を考慮したうえで、台湾系の人びとのアイデンティティそれ自体を問い直す必要があると考え、調査の中盤にして問題設定を変更することにしました。しかし、これは言い換えれば、石垣島という地域が、私が持っていた前提に揺さぶりをかけ、フィールドとの向き合い方を見つめなおすきっかけを与えてくれたということなのだと思います。石垣島での7日間の滞在を経て、フィールドに出て、実際にその地域の人やもの、空気に触れることの持つ力というものに、改めて気づかされました。

(小松恵)

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