履修生によるフィールドワーク紹介 松下雅明

石垣島とあゆむ理容店

沖縄県石垣市、日本でも最西端にあたるこの小都市をフィールドに継続されてきたのがプロジェクトEです。事前調査でさまざまな論文や歴史を参照して、石垣島をはじめとする八重山地方が男性の散髪の習慣化がかなり遅かったと考えられる一面が気になりました。そこで私は石垣島調査のモチーフとして「理容所:床屋さん」の世界を選びました。事前には先行研究やライフストーリー研究の理論を学んだり、また現地ではプロジェクトを担当する講師の方々から丹念な点検もあり、調査の目的を意識することが求められました。私の経験不足を補って頂き、また深夜までホテルでパソコンに向かい、翌日には聞き取りで自転車で島をまわるといったあわただしい調査日程になりました。

ある理容店にて

ひとつの街の変化を定点観測のように見てきた理容所の担い手へのインタビューは予想以上に話題の宝庫だといえます。個人の記憶やエピソードには必ず日本と沖縄の「近代化」の具体的な姿、歴史の断面が現れてきます。石垣港にごく近い店舗を続けてきた理容師たちが語るのは大型船が接岸するようになる前、子供のころの桟橋の情景。木造の桟橋や浅瀬が毎日の遊び場だったこと。昭和30年代近海カツオ漁が盛んな頃、船溜まりに近い理容店では忙しい漁民のお客さんが「はだしで」来店する光景がよく見られたと言います。そうした風景は単なる思い出の域を超えて、つい四、五十年前まで見られた、島を支えた人々の表情として浮かび上がります。生活に文化的なゆとりを支えた「プレイス」としての理容所の役割もあったでしょう。「ユンタク(おしゃべり)はダンパチヤー(断髪屋)で」と島の人に言われたように、理髪店での語らいは当時の人たちの楽しさや日頃の苦労の交差点でした。

また、理容師となる修行時代の経験も変遷があります。戦後早い時期には徒弟制度の様子が残っており、親方家族と同居して修業した記憶。1970年代のいわゆる本土復帰前後には修行に行った沖縄本島では米軍の基地内の理髪が本当に忙しかったと言います。米軍基地では馴れない英語に苦労したなあ、と話された方は最近のエピソードも語りました。外国人観光客がおおぜい島に来るようになり、ある日ヨーロッパの若い女性が床屋をたずねたそうです。昔を思い出しながら、身振り手振りでその方と値段から交渉し髪を刈ったのだといいます。これは過去の石垣がまた新たな時代にさしかかる様相です。町と時代の変化、人々の体験を重ねて、この地域の変容を立体的に捉えられれば面白いと考えています。

(松下雅明)

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